世界の人々と出会い、関わり、戯れる

最終更新: 2019年11月23日

Udaraです。

愛の講座をファシリテーターした3年間を通して、得たことの一部をシェアしたいと思います。講座が開催されるごとに、ファシリテーター同士で、それぞれの現実で、何をつくりたいのかをシェアし合っています。私がこれまで挙げてきたものは、


-目の前の人を愛する、同時に世界が愛に溢れる(2016)

-1ミリも欠けることのないJOYを味わう(2017)

-自我を自由に解き放ち、世界を飛び回る(2018)などでした。


愛の講座が宿泊型の講座へとシフトし、2年目の2017年、ある場でファシリテーターのトレーニングを受けた時の出来事です。


そのトレーニングは、それぞれが前に立ってファシリテートをし、お互いに率直なフィードバックをし合うという形式で行われていました。トレーニングも佳境にあったその日、ある男性から受けたその言葉は、とても慎重でかつ直接的でした。


今、思い返して感じてみると、愛の講座で挙げた「つくりたいもの」全てに通じるフィードバックだったように感じます。


その男性は「何と表現したらいいんだろう。」と、しばらく考え込むような表情をしたあと「傷つける意図はないけれど。人前に中庸に立つファシリテーターとして、耳を傾けてみて欲しい。時々、あなたの「態度」や「仕草」は、日本人女性によく見られる芸者のようだ。」というものでした。


そのフィードバックを聞きながら、頭が真っ白になり、明らかに胸にぐさっと何かが刺さったような感覚がありました。私の反応に即座に気づいた彼は、「大丈夫かな。私の言ったことで何か感じたことがあるなら、聞かせて欲しいし、私はいつでも聞く用意があります。決して勘違いしないで欲しいのだけれど、もし、それにあなたが意識的でないのなら、今後、より深い場をファシリテートすることになった場合、人を混乱される可能性があるかもしれない。もちろん、人前に立つ人は、個性があっていいし、魅力的であっていい、女性性のエネルギーでファシリテートする人を、美しいと思います。そして、あなたは女性として魅力的だし、そのポテンシャルがあるのだと思います。ただ、今までそれを意識しないままでいたのなら、恐らくそれによってあなた自身もこれまで、関係性で混乱した経験があったのではないか。」というものでした。


その言葉を一つ一つ受け止めながら、心臓の鼓動が一挙に高まるのを感じ、呼吸が浅くなっていきました。その時は、「今は、何を感じているのか、うまく言葉にできないので、時間を下さい。」と言うのがやっとで、どうやって部屋に戻ったのかも覚えていません。


最初は、「芸者さんは、芸事に長け、頭も良く、センスがなければ、その道においても、認められない特別な存在なのに。外国人にわかる訳ない。」と彼に批判的になったり、「日本人女性に対する偏見だ。」など、思考がグルグル回っていました。


部屋で一人になると、心臓の奥深くの塊に深く矢が刺ささっている感覚がまだありました。射抜かれたような痛みと共に、何度も泣いて、訳のわからない悲しみや怒りが溢れて止まりませんでした。


その時は、愛の講座の中でも行うハート呼吸の瞑想を繰り返しました。お陰でのちにそれは、私の宝物の体験の一つになったのだけれど。


いつもの私なら、一人で乗り越えようとしていたと思います。ところが、この時は、まるで人々が私の非常事態の波動を感じているかのように集まってきて、様々な人が関わり続けてくれました。


「屈辱だ。」と泣きじゃくる私の背中にただ触れて、落ち着くまで一緒にいてくれたり、ある時には、身近な女性が直接会う時間を作ってくれたり。「国籍」や「人種」や「性別」を超えて、私の身の回りにいる親愛なる人々が、どこまでも付き合ってくれました。


「いつまでも、ネガテイブに受け取ることは、あなたの成長にならない。」と勇気を持って言ってくれる人もいました。おかげで、その数日後、これもプロセスなのだ。と思えるようになりました。「全てがその人の美しいプロセスである。」というのが、愛の講座のコンテクストでもあります。


落ち着いから、マインドフルネスになり、その時の考慮や思い、身体感覚を再現してみることにしました。ふと、ある感覚が沸いてきました。


それは、「出来なかったらどうしよう。」「間違ったらどうしよう。」と極度に失敗を恐れて緊張している時、「何とか乗り切らねば。」と責任を一人で背負って孤立している時に出てくる、無力なふりをして媚びている自分の姿でした。


私自身、これまでも、その感覚を自覚していないわけではありませんでした。

愛の講座の共同主催者であり、ファシリテーターでもある岸英光氏からも、過去にプレッシャーのかかったトレーニングの場面で、

「あなたが時々する子猫のような態度は、プロフェッショナルの場では必要ない。』と指摘されたことや、

ハコミセラピーの創始者、アメリカ人であるロン・クルツから、

「あなたが日本女性として、日本でサバイバルしていく上で、不可欠な環境があることは、想像に容易い。でも、恐怖からティーンエイジャーのような若さを無意識に手放せないでいるなら、それについて探究することは自分を知る助けになるだろう。」と助言を受けたり、


その後、私のまわりには、誰かを喜ばせるだけの無力な存在であることを求める人も、媚びるような態度や無力さを演じて通用する人もいなくなりました。でもあくまでも井の中で、自由な女性として生きているつもりでいたのでした。だからこそ、いざ、世界に出てみて受けたフィードバックは、強烈にエゴが傷ついたのだと思います。


日本女性として生まれたからには、無言で求められることを察し尽くせる「奥ゆかしさ」や「如才なさ」がなければならず、それが出来ない自分は失格だと自分をジャッジして、その振り子が裏目に出ていたのです。


散々打ちのめされたあと、怒って泣きじゃくってしまった自分に対して、カッコ悪すぎると評価している自分にも気付きました。そのカッコ悪さまで含めて、すべて受け入れた時には、真っ裸で現実に降り立ったような感覚でした。それを感じたのは、この言葉を受け取ってから、1ヶ月以上過ぎてからでした。


ちなみにこの体験の直後に開催された2017年秋の愛の講座では、本当に1ミリのテンションもなくファシリテートを楽しめました。多分これまでになく、リラックスしていたと思います。また2018年は世界各国に出ていくことにもなりました。


2019年は、これからつくりたいものは、 宇宙と繋がり、「世界の人々と出会い、関わり、戯れる」です。


2019年春の愛の講座で、みなさんにも、それぞれの愛のプロセスを楽しんでいただければと思います。


本講座が開催される前に

3月21日13:00-17:00(祝・木)「愛の講座の正体を知る」体験ワークショップがあります。

コチラよりお早めにお申し込みください。 https://ssl.form-mailer.jp/fms/e959f249606894





注:文中の芸者の概念は、海外でどんな解釈をされがちかという概念であり、事実や個人的な意見・解釈を語るものではありません。実際には、トレーナーがこの言葉にどんな解釈を持つかの真意はわからないこと。日本での芸者の位置付けや事実がどうかではなく、世界ではどんな風に解釈されているかの一つの視点として、芸者のイメージを語っているフランス人のトルシエ監督の言葉を引用します。ちなみに日本のサッカーをアジア・カップ優勝などに導きながらもその率直な物言いで批判も多かったのだとか。


ヨーロッパ人が思い描く芸者のイメージがある。純粋に楽しむための男女関係だ。女性は男性を喜ばせるために存在する。男性のために尽くさねばならない。そうした芸者的な観念は、日本社会の中で生み出されたものだ。男性は女性に傅かれて酒を飲み、女性は男性を喜ばすために尽くす。そうした男女関係は日本でしか見られない。私が知る限り世界のどこでも例を見ない。これはある意味でセックスを越えた関係だ。セックスの関係という以上に人間同士の親密な関係であり、男がきれいでかわいい女性を見つけるための、官能的な関係だ。


本講座への申し込みはコチラ

https://ssl.form-mailer.jp/fms/67c63997606207

主催:愛の講座プロジェクト
​企画:岸事務所、LIVE COMMUNION